ポリスの人口について

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動画の中でアテナイの人口に触れたので、ギリシアのポリス全般の人口について。

今回上げた動画(アイペロ3の7)にちょろっと出てきましたが、アテナイの人口は大体20万~30万人と見積もられています。
(アテナイは古典期ギリシアの中ではダントツに資料が残っており、この人口は重装歩兵の兵力などから類推した数字です)
また、アテナイの支配領域であるアッティカは大体神奈川県と同じくらい(約2400平方キロ、隣接属領を含むと2500~2600平方キロ)です。
数字だけみると、人口も面積も現代日本に住む我々から見ると大したことないように思えます。
 
 
しかし、この数字は他のギリシア人ポリスからみると、超大国と言っていい大きさでした。
古典期のギリシア人ポリスは、地中海全域で大体1000くらいはあったと言われています。しかし、その中で確実に人口10万を超えると試算されているポリスはアテナイとラケダイモン(スパルタ、属領のメッセニア他を含む)くらい。その他の大ポリス(コリントス・アルゴス等各地域の主要ポリス)もおそらく数万~十数万の人口がいたと思われますが、大多数のポリスは人口1000~2000程度と目されています。

もちろんその領域も現在の市町村なみ(もしくはそれ以下)に小さく、中心地には村落と防御のための簡単な柵くらいしかなかったでしょう。兵力も100~200程度でしょうし、海軍はおろか三段櫂船を保有し運用することすらできなかったはずです。
デロス同盟の加盟国はペロポネソス戦争開戦時で200程度(その後400まで増える)ですが、その多くが収める貢納金はせいぜい1~2タラントン、場合によってはそれ以下のこともありました。
(人口から考えると、これでも過大な負担だったと思います)

これらのポリスは独力で大軍に対抗することは不可能ですから、たいていは各地域の主要ポリスに従属したり、同盟を結んでいました。たとえば、カルキディケ半島の小ポリスは、アイペロ 3の3のエピソードのように、アテナイの襲撃に備えて、オリュントスとスパルトロスという比較的大きな町に住民が避難しています。
その後アテナイは、周辺の小ポリスを攻略することはできましたが、オリュントスやスパルトロスの堅固な城市を落とすことはできませんでした

ペロポネソス戦争は、世界史の他の戦争に比べて、特別規模が大きいわけではありません。
(同時代の中華圏など、数万~数十万単位での戦争が記録されていますしね)
それでも、当事者、特に弱小ポリスからみれば、世界を揺るがす大戦争として感じられたんだろうなぁ。
 
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