アイペロ 第5話その1について

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テバイのプラタイア奇襲。アテナイ・ラケダイモンとも同盟軍を召集。
一回目に上げた動画がなんでか消えちゃいましたので上げ直しました。
「動画制作やめたのかも」と思った方がおられたようですが、私は今んところ止める気はないっす。
 
 
 
プラタイアへの奇襲:
トゥキュディデスはこの事件を大戦の始まりと捉えていたらしく、まずはアテナイ・ラケダイモン・アルゴス(開戦当時中立だった大国)のそれぞれの年代表記に従って、この事件がいつ起こったかをはっきり記述しています。
アテナイの年代表記(筆頭アルコンの名前と残り任期の月数)と「(事件は)月の終わりに起こった」という記述から、西暦で紀元前431年の3月7日~9日のいずれかの日にこの事件が起こったのは確実です。

プラタイア側の加担者:
「戦史」ではこの事件のことをかなり細かく記述していて、プラタイア側の加担者とテバイ側の陰謀計画者、そして実行部隊の指揮官の名前も明らかになっています。

当番評議員詰所(プリュタネイオン):
解説動画でも説明した通り、アテナイでは1年を10区分に分けた行政月を定め、それぞれの月ごとに当番評議員50人を割り当てており、彼らのうちさらに3分の1は当番評議員詰所に終日詰めていて、緊急時の即応を担当していました。今回はそこにペリクレスも駆けつけている、という設定です。

戦闘経過:
「戦史」ではこの経過ももっと詳細に記述しています。プラタイア人の反撃は大体動画の通りですが、逃げようとしたテバイ人の多くは、城壁に隣接する屋敷の扉を城壁の外へ出る扉と勘違いして侵入し、閉じ込められてしまったとのこと。逃げだせたのは城門のかんぬきを斧でたたき壊す事ができた数人に過ぎなかったようです。

プラタイアは支援しにくい:
アテナイからキタイロン山脈を抜けてプラタイアへ行く道は最高地点600mくらい、しかも出口にテバイ方の小ポリス・ヒュシアイがあります。相手がテバイだけならともかく、ボイオティア同盟や、ましてやペロポネソス同盟がいれば、プラタイアへの支援はほとんどできません。

テバイ人の人質:
ある研究によれば、この時の人質180人は、テバイの総兵力の5%強に上ったと考えられています。その中にはボイティア同盟の執政官も含まれているほどですので、この人質をうまく使えば、かなり有利になったのではと思われるのですが……。

ネオテロス(小アリストパネス)再登場:
すごい久しぶりだなぁ。まあ登場人物が多いからしょうがない。
ネオテロスくんは、実は前半の山場を盛り上げる(アイペロ的に)重要なキャラクターです。

ネオテロスの父ピリッポス:
アリストパネスの家族については、実はたいして分かっていません。
父親がピリッポスという名だということ、アイギナに地所があったことなどは間違いないのですが、どんな人物かも不明です。ですので、「民会で和平論を展開した」などと言うのは創作です。
アリストパネスの家庭については、今後もかなり創作の部分が追加されていきます。

当番評議員が籠城に反対している:
「戦史」にはこういう記述はありません。しかし、「ペロポネソス連合軍が急いで進軍していれば、アッティカから避難する人員や財貨を捕らえられた」という記述があります。つまり、アテナイ人はかなりぎりぎりまでアテナイ市に避難しようとしていなかったようなので、こういう理由をつけました。

小ペリクレス:
このころおそらく10歳前後だったと思われます。アスパシアはミレトス人でペリクレスと正式に結婚できないので、彼は市民権を持っていません。

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2011/02/09(水) 03:27 | | #[ 編集]
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