アイペロ 第5話その5の2について

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律子とトゥキュディデス、トラキアで外交活動。トラキア・マケドニアがアテナイ方へ。1年目のアテナイの戦果。

 
・トゥキュディデス、トラキアへ外交使節として派遣される
外交使節として派遣されたのは私の創作ですが、全く無根拠ではありません。
「戦史」1巻27に、戦争初年度夏の新月の日、部分日食があったことが記されています。
しかし同時に、「星が見えた」という記述もあります。
天文学の計算によれば、この日食は前431年8月3日に発生したのですが、アテナイでは部分日食でも影の度合いがわりと低く、そのため星が見えるほどではなかっただろうと言われています。しかし、トラキア辺りであれば影の度合いが高く、星が見えたかも知れないと推測される、と。
じゃあ、日食の起こった時、トゥキュディデスはトラキアにいたんじゃね?→トラキアに外交使節として派遣されてたんじゃね?という推測もできなくはない、ということみたいです。
このころトゥキュディデスは30歳前後、アテナイでは政治の要職に就くことが許される年齢です。また、この7年後に彼は将軍となりますので、それまでにもいくらか外交的・軍事的な職に就いていただろうと思い、今回のエピソードを作りました。


・アブデラ
トラキア南岸に建設されたイオニア系のギリシア人植民地です。ペルシア戦争後にデロス同盟に参加しました。トラキアのオドリュサイ王国との結びつきが深く、トラキア人との貿易でかなり栄えていたようで、アテナイには貢納金15タラントンを納めていた記録があります。


・ニュンポドロス
「戦史」ではちょっとしか出てこないのですが、動画にあるとおり当初はアテナイに敵対する者であったこと、しかしオドリュサイ王国のシタルケスとは妹(または姉)を通じて義兄弟だったことが記されています。
動画にもあるとおり、彼はアテナイとオドリュサイの同盟を取り持ち、さらにそれを利用してマケドニアとアテナイの同盟も取り持ちましたので、優秀な人物であったと考えられます。


・トゥキュディデスの血縁
 アイペロ第5話6-1に詳しい系図を出していますが、トゥキュディデスがトラキアと縁が深い血筋だったのはほぼ間違いありません。後に将軍になった時もこの地方に派遣されていますし。
ただ、トラキア王オロロスとオドリュサイのシタルケスに血縁があったかはよくわかりませんので、適当に話を作っちゃいました。


・権益代表(プロクセノス)
この時代のギリシア特有の慣習です。古代ギリシアでは、ポリスが他のポリスの有力者を「プロクセノス」として認定し、相手ポリスにおける自ポリス市民の待遇を保証してもらったり、外交的な窓口となってもらったりしていました。一国のポリスから信任を得ることになるため、ギリシア人はプロクセノスに認定されることを大変な名誉と考えていました。


・トラキア王子サドコス、名誉市民に
名誉市民はアテナイにおいて、外国人に与えうる最高の名誉待遇でした。市民権の付与に非常に慎重だったアテナイでは、外国人に市民権を与えるのに民会の決議を必要とします。つまり、自分たちの同胞として認める、ということですね。歴史的には、アテナイに大量の大麦を送ったエジプト王なんかも名誉市民権を与えられ、顕彰されたりしています。


・マケドニアとオドリュサイ、アテナイ方へ
北方の異民族からなる大国二つがアテナイ方についたことは、大きな収穫でした。もしこの状態が維持できれば、カルキディケ同盟はアテナイに屈せざるを得ず、デロス同盟のトラキア管区は盤石だったはずですから、アテナイには非常に有利に働いたはずです。
……まぁ、あのペルディッカスが素直にアテナイに与するわけもないんですが。


・一年目のアテナイ艦隊の遠征
動画にもあるとおり、かなりの成果を上げました。ラケダイモンやエリスなどの後背を脅かし、アカルナニアの敵対勢力を覆し、ペロポネソス半島西側海域の重要拠点であるケパレニアを奪ったことは、ペロポネソス同盟にとって大きな打撃となったはずです。


・メトネのブラシダスの活躍
動画ではさらっと流していますが、後にアテナイから恐れられたラケダイモンの名将ブラシダスが歴史に初めて登場した時のエピソードです。1000人の囲みを100人の巡視隊で突破するブラシダスとスパルタ兵、マジパねぇ。
トゥキュディデスは彼を高く評価しており、これからもちょくちょく出てきます。ペロポネソス戦争前半戦のキーパーソンです。


・アテナイのロクリス派遣艦隊
ロクリス沖の小島に砦を築き、アテナイ方の重要拠点であるエウボイア島の防衛強化につながる成果を上げました。エウボイアはアテナイ人の財産である家畜の避難所でもあり、また農産物も豊富なため、重要な食料供給減でもありました。


・ペロポネソス同盟側の海軍
少なくともこの年には、アテナイに対抗するだけの戦力はほとんどなかったようです。ペロポネソス同盟方の海軍国はコリントスとその植民地レウカスですが、彼らとて常に大艦隊を維持しているわけではなかったことは、コリントスとケルキュラの紛争の経緯でもわかります。コリントスはこの紛争の時、90隻の自国艦隊をを含む150隻の連合艦隊を組織していますが、その準備に2年間を費やしています。つまり、コリントスほどの大国ですら、アテナイに対抗する艦隊を組織し維持するのは難しかった、と言えるのではないかと。


・メガラ艦隊
40隻がメガラの港ニーサイアにいたことが分かっています。
実は、コリントス領にはサロニカ湾とクリ―サ湾を陸路でつなぐ「船の道」があり、陸上輸送でクリーサ湾(西側)に移動させることも不可能ではないのですが、この時はアテナイの艦隊を恐れていて、その道まで艦隊を回送するのも難しかったのではないかと思います。


・船のメンテナンス
木造船というのは、現代の我々が想像する以上にデリケートなものだったようです。ただ、どちらかというと陸にあげっぱなしよりも水に浮かべっぱなしのほうが問題がありました。フナクイムシの害はその代表的なもので、これを防ぐために様々な時代・地域で独自の対策が採られていました。コメントでも指摘されていた「コールタールを塗る」という対策もありましたが、この時代のギリシアにあったかどうかよくわかりませんでした。
一応、船の喫水線下を銅や鉛の薄板で覆った船は、ギリシア時代にもあったみたいなんですが、私の動画では少なくとも三段櫂船にはそれは施されていなかったことにしています。(復元三段櫂船のオリュンピアス号も木造むき出しです)


・アテナイのメガラ侵攻
この時の動員兵力は動画にあるとおり重装歩兵13,000、三段櫂船100隻+重装歩兵1,000、その他軽装兵多数とありますので、陸上兵力では多めに見れば二万以上を動員したのではないかと考えられています。三段櫂船の人員も合わせるとその数は約四万。ギリシア人ポリスとしてはけた外れの軍勢でした。
おそらく、この時最もアテナイの陸海戦力が充実していたと思われます。このままいけば、おそらくアテナイが敗北することはまずなかったでしょう。
それでも負けちゃうんだから、歴史は面白い。

 
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